うつ病帝国

うつを患っている自分の、うつに関する様々な事象の手記。備忘録みたいなもの。

気圧の影響

今日(2016/5/10)は湿度が高く雨が降ったり止んだりの日だが、
私の場合、うつ症状は気圧の影響をダイレクトに受ける。
しかも、高気圧の恩賞は全くと云って良いほど受けず、
低気圧の影響のみ受ける。

その時々の気圧差で症状の重篤度はバラバラだが、
また卵が先か鶏が先かの理論になってしまうが、
うつ症状(自律神経が不安定)が出ているところに、
低気圧による血管の拡張とヒスタミン増で更に自律神経が乱れ、
心身に様々な症状が出る。

倦怠感、やる気が起きない(何もしたくない)、気が滅入る(死にたい)。

健康なときでも大なり小なり気圧の影響を受けるのに、
自律神経が乱れている現状ではなす術がない。

とりあえず今時分は動けなくないほどには回復しているのだから、
現状をモニタリングしつつローギアで動く他ない。

自然には勝てないと肝に命じれば、少しは気も晴れる。

考え方の癖

私は○○だから、✕✕しなければいけないといった固定観念にとらわれることがしばしばある。

例えば休日、天気がいいから外に出なければいけない。
好天を勿体無いと捉えるため、そう考える。

別に散歩が趣味ではないのだから、
屋内で読書をしててもいいと最近は考えられるようになった。

他にも掘り下げれば、セール中だからといって必要性が薄い物を買う、
とても小さな購入の動機を探しだしてでも買う。
結局は使わなくなるが、そのときの所有感だけ満たされる。

圧倒的に時間やお金の使い方が下手くそなんだと思う。
損得で正負の感情が先導する行動を起こす際は、
行動前に一歩引いた目で物事の全体を観る必要がある。

うつと食事

うつ病を発症する前段階、仕事が忙しくなってきてからは、
料理をすることがなくなった。

それまでは自炊派で、夕食と云えば休日にまとめ炊きした米を解凍し、
あるいは朝に炊飯器をセットし、夕飯におかずを作りつつ食すといった、
取り立てて面白味もないが、堅実な食生活を送っていた。

また、ダイエットに勤しんでいた時期もあり、
そうしたときは朝にトマトジュースを、昼はがっちり食べ、
夕飯はカロリーの少ないものと、
一日の総カロリーをコントロールする食生活を送っていた。

しかしながら仕事が忙しくなると、
食事にかける時間を別のことに回したいと思うようになり、
出来合いの弁当をかきこみつつ、PCに向かう時間が増えていった。

そうした習慣がついてくると、
カロリーコントロール自体がストレス源になってしまった。
今思えばカロリー計算が面倒、仕事以外で頭を使いたくない、
好きなものだけ食べたい、食事する時間が勿体無い、
献立を考えるのが面倒、調理の手間が面倒、
楽して満腹中枢を満たしたい、そんな考えだったのだろう。
満腹中枢が満たされれば幸せな脳内物質が出る。
満腹になるためだけに食べた。

ただ、毎食にお金もかけていられないから、必然的に味の濃い油物が増える。
体重も増え、動作も鈍くなり、また重さで動きたくなくなる。
体力も落ち、うつの進行と供にどんどん悪循環に陥っていった。

仕事が忙しかったときも、休日は運動をしなかったから、
体力は落ち続けていたように思える。

今は軽い運動や散歩などで、日常生活をおくれる程度の体力は回復している。
体力の回復に従い、カロリー計算する気力も湧いてきた。
まだ調理する気力はないが、忌避感がなくなってきたこともあり、
近いうちに調理も出来るようになると思える。


本項のまとめ:うつ病が酷くなると料理したくなくなる

私がうつ病になった経緯

仕事は忙しかったが、上司は部下思いだし仕事にもやり甲斐があった。
ただ、仕事以外の会話の少ない職場だった。

年々求められるスキルが上がっていき、
自身に行き詰まりは感じていた。

生来の性格なんだろうが、自己評価は低い。
低いのに目標は高く掲げる。
当然、高過ぎる目標は達成できないのだから、
また自己評価は下がる。

年々、自己評価は下がっていく。
それに伴い職場内の評価も下がっているのではと疑い始める。
疑心暗鬼に会社の居心地が悪くなる。

居心地の悪さは表面化はしないが、
ストレスとして身体に影響が出始める。

血便、貧血、胃炎に腸炎
積もり積もって体が動かなくなる。
対策が分からずじわじわと病んでいった。

当時は肉体と精神を別に考えていたように思える。
薬で身体を治しても根治しないとは気付かなかった。

今は自己評価と現実の評価の剥離について考えることが出来るようになった。
また、再発防止のために自分の考え方の癖を把握することの重要性を理解した。

しかしながら、まだまだ先は長い。

雑記

私は現在、認知行動療法による治療を行っているが、
投薬による治療をハードウェア的治療とするならば、
認知行動療法による治療はソフトウェア的治療と云える。

認知行動療法は主だった薬を必要としない。
これが意識の道筋を整える、デフラグに思えて仕方がない。

うつと音楽

うつ症状が酷いときは、以前好きだった音楽、アーティストの一部をまるごと全部忘れていた。
うつと診断されてから2年になるが、診断前の精神が不安定な時期も含めると、
おおよそ3年程アタマから抜け落ちていたことになる。

最近になり、以前趣味だった楽器を再び始めたことで、
過去に聴いていた音楽を思い出したのである。
なぜ楽器を再開するに至ったかは、別項であげようと思う。

うつ症状が酷くなると、意識が外に向かなくなる。
酷くなる前だとしても、症状に比例するかのように億劫感が勝っていき、
本人は原因に気付かぬまま、ただ趣味だったものに興味が持てなくなるのである。

なぜ無自覚なのか、今だから解るのだが、
当時はただなんとなく楽器に向かうのが面倒になり、
それは演奏にあてる時間が勿体無いのであり、
平日は仕事帰りの少ない自由時間で、また休日は限られた時間内で、
仕事のストレスを解消する休息が必要があったからに他ならない。

しかしながら、楽器を演奏することは楽しい。
ストレス解消に一役買いそうなものなのだが、
当時の心境としては、仕事で新しいことをしているのに、
プライベートまで新譜を覚える余剰はないといったことや、
また、演奏は体力も使うものだから、
仕事で疲れているのに演奏で体力を消耗したくないというのが、
ただ面倒という一言の中に含まれていたのではないかと、今になって推察される。

話が逸れてしまったが、最近になるまで、
うつとは無縁の頃に聴いていた音楽を忘れていた。
この頃はHDD内にある耳心地良いジャンルを、またはネット上にある耳心地良いジャンルを、
同じものを延々と聴いていたように思える。
おかしな話だが、以前好きだった曲も同じHDD内にあるのに全く気が付かないのだ。
選曲の際に目に入るのだから、これは無意識に忌避していたのだと思う。
なぜ無自覚に避けていたのかは未だに理解できてはいないが。


最近、症状が軽くなり(それでも浮き沈みは激しいが)、
楽器の再開を期にかつて聴いていた音楽を思い出し、
HDD内にあるだけでは飽き足らず、派生に至るまでレンタルで借りまくったのは言うまでもない。


本項のまとめ:趣味が面倒になり始めたらうつ症状のサイン
       飽きると面倒は別の事象