うつ病帝国

うつを患っている自分の、うつに関する様々な事象の手記。備忘録みたいなもの。

うつと夢

記念すべき第1回目は真面目に書いてみる。


うつ病になってから夢をみる頻度が高くなった。
と言うよりは、起床時にみた夢を憶えている頻度があがった。
夢と云っても、もちろん将来の「夢」といった前向きなものではなく、
レム睡眠時にみる「夢」だ。
逆に将来の夢なんかは全く考え無くなったものである。


さて、夢と云っても様々あるが、
私の場合、うつ症状が酷くなるにつれ、
取り立てて生活感のある夢をみるようになった。

生活感といっても夢特有の支離滅裂であり、
夢と気付かないからこそ感じる奇妙な生活感だ。

この生活感が厄介で、レム睡眠時の数秒から数分、あるいは数十分の中で、
私はその時々の夢の世界で産声をあげてから、
時に10代、時に20代、時に30代といった姿形になるが、
おおよそその姿形に至るまでの、
偽の記憶をもって生活をしていることが多々ある。

夢とは俯瞰的であったり、人物が入れ替わったりと、
一人の人物の人生たることはあまりないように思えるが、
うつ症状が酷くなってからは、夜ごと夢ごとに違う世界観が構築され、
私は別人のワタシとして、その夢の中に産声をあげるのである。

しかしながら私が得るのは偽の記憶ではあるが、
ワタシが得るのは支離滅裂ながらも真の記憶であるため、
目覚めたときの私に記憶の混濁、感情の追想がしばしば起こる。

記憶の混濁、それ即ち目覚めた時分の私が、
夢の登場人物たるワタシの人生を追体験することで、
夢の登場人物であるワタシか、現実を生きる私か、
脳が判別できなくなることを指す。

感情の追想、それ即ち目覚めた時分の私が、
夢の登場人物たるワタシの感情の発露を追体験することで、
記憶の混濁をしている私に、ワタシの感情が上書きされることを指す。

偽物とは言え、数年、あるいは数十年分の記憶、
感情を引きずっての目覚めである。
脳にかかる負荷は想像するだに恐ろしい。

また、この時の夢が全て大団円とは限らない。
今後、別項としてあげる予定ではあるが、
悪夢の場合は一日中その記憶の疑似体験、感情の追想に悩まされる。

こんな状態では起きて活動するどころの話ではない。
そうして陰鬱とした一日を過ごすのである。

これもまた別項としてあげる予定ではあるが、
睡眠による休息は、うつ病の際に必然であると考える。
様々な文献にも、睡眠による休息の重要性が説かれていることからも、
休息足りえる睡眠を取ることは、病状の改善になくてはならないのである。

しかしながら、夢現を引きずる有様では、
満足な休息を得られているとは到底言い難い。


さて、うつ状態を脱すべく、私は先ず、睡眠状態の改善を目指し、
自己の睡眠状態を観察することとなる。


本項のまとめ:レム睡眠時の夢を憶えていると、疲れる。